見渡して満足を知る
深田久弥さんの頂へ、初登頂の感あり。解説は、串田孫一さん。山岳文学の詩性が、知性を語る。
山頂でもいい、尾根でもいい、渓谷でもいい。串田さんは、深田さんと山中で偶然出会いたかった。
計画して一緒に登るのではなく、「霧の中から足音が聞こえて来て、何となく挨拶をして顔を見ると深田さんだったらどんなに嬉しいだろうと思ったことが幾度もあった」。
男同士だから、嬌声を張り上げるようなことは無い。
たぶん、身振りは慎ましやか。含むところは大なるものがあるけれど、目を合わせるのは一瞬かもしれない。
僕は、20代に串田さんと仕事をした。精霊のような体だった。比べて、深田さんはどんな体つきだったのだろう。
50年近くの登山歴で、百の名山を選ぶ基準を自分に課した。
第一は、山の品格。美しさとか厳しさとか。
第二が、歴史。人々が朝夕仰いで敬うような時の堆積。頂きに祠をまつるような山。
第三に、個性。その山だけが具えている独自のものを尊重する。
「付帯的条件として、大よそ1500メートル以上」と書かれていた。残念だ。僕には、技量も無い。
本が出版されたのは、1964年。ちゃんと麓から登って1500メートル以上。
でもさ、山を味わう目や心は標高とは切り離してもらいたいのだ。チャライのかなぁ。第一第二第三以降に、第四第五の基準も加えちゃダメ?
尊敬措(お)く能(あた)わざる深田久弥さん。文章から、汗が引いたあとの静けさが伝わる。