天狗を学んで門人になる

目黒通りと環7の交差点には、柿の木坂陸橋がある。角に碑文谷警察。

太鼓と笛の音、それに元気のない「わっしょい」の声が聞こえてくる。足は向かう。

「大人神輿担ぎ手募集」の張り紙。「担ぎ手は必ず当町会の半纏を着用してください」と注意を促してた。住宅街の祭りは、神輿も山車も、人手も人出も不足してる。

こういう状況は30年来続いているから、別に寂しいとも思わない。ぞろぞろ付いていくと、碑文谷八幡宮に着く。

ひととおり屋台を覗く。

拝殿の手前に、「日露戦役紀念碑 希典書」が立っていた。乃木大将は国民的人気があったので、全国の神社から揮毫を頼まれたのだろう。よく見る。

隣には「征清戦勝紀念碑」もあった。「日露碑」に比べればサイズ3分の1。戦費や興奮の度合いに応じているような2つの石碑。

そこから、第2次世界大戦まで一直線。国粋主義軍国主義者のバックボーンに神道

称揚された人物の一人に平田篤胤(あつたね)がいた。戦後はコロッと、まるでいなかったかのように忘れられた。「篤胤って、何者?」と國學院大学公開講座に出席。

学者のなりわいは、昔も今も教えて稼ぐ。

町人も武士も生徒だった「気吹舎(いぶきのや)」。門人帳、日記、金銀入覚帳、書簡、版木などの研究が進んで、全国にネットワークがあった学塾の実態がわかってきた。

本も出して売る。

現在、岩波文庫で「仙境異聞」が読めるという。少年寅吉が、天狗の国で見てきたことを語った本。天狗好きだから、はずせないよ。

碑文谷八幡宮の少年は、射的に身を乗り出して修業中。

Christiane Karg