田舎の都会というハンパさ

4ヶ月前、横浜に引っ越してからずっと気になってた本を読んだ。

「郊外へ」白水社刊。堀江敏幸さんのデビュー作。

初版は、もう20年前のことになる。当時30歳で、現在も留学生のイメージをひきずってる。ほんとは、早稲田の先生なのに。

パリの東西南北の郊外を描いたエッセイ。

地名になじみがないから、彼の視線がどのように移動してるか、わからない。わからなくても、いいのだ。観光案内してるわけではないので。

シーンで出てくるのは郊外の団地、坂道、鉄路、係船、給水塔、動物園、工場。らが、自身が読んだ小説や詩や映画にゆるやかに接近して、なんとも薄い空気に広がっていく文章だった。

水彩画のように、おだやかに波うってる文。

郊外とは、

貧しさ、息づまる小ささの集合、敷石の砂漠、劣悪な労働、突き放した距離感、失意、わずかな軋み。わが町青葉区を歩いて、断片で感じることばかり。

極めつけは、玄関マットという形容。

都会に出るのに30分もかからないのに、都市になろうとしてなれずにいる宙ぶらりんさ。

うまいこと、言うなぁ。

12本のエッセイで、たびたび触れているのが写真家のドアノーだった。

たぶん、絵はがきとしては世界No1で売れたパリ市中の写真。ところが、郊外写真も撮っていたのだ。幸福そうな子供たちは、だいたい郊外で撮られた。

なにもかも、郊外は新発見の空間だ。しばらくは、旅の途中。

Prokofiev: Symphony No. 7