難しいから、おもしろい

就活学生のバイブル、デール・カーネギー著「人を動かす」。

かすかに記憶にあるのが、一つだけある。人は「自分の重要感」を認めてもらいたい。

皆さんは、「傾聴」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。文字どおりの意味だ。

他人の話に耳を傾ける。つもり、と誰もが思い込んでる。

実践していれば、カーネギーと同じように地元に音楽ホールを寄付するほどのリッチマンのはずだ。

毎日の暮らしでせいいっぱいなら他人に傾聴せず、自己主張ばかりしていることになる。

ここで、リッチかどうかは脇に置いといて、とにかく傾聴講座に参加してみた。

話し手と聴き手と感想者3人が一組になって、ロールプレーをやる。かわるがわる立場を変えて、3回やる。

話し手なら、とにかくどんどん話したくなる。

聴き手なら、コミュニケーションしたくなる。

感想者なら、話し手と聴き手にそれぞれ感じることがある。

話し手は、話ながら自分で答えを見つけ出している。聴き手は、共感のサインがワンパターンになって苦しい。

どんな発言も受容し、わかってないくせに「わかる」とうなずく苦しさ、「聴いているよ」と相手に伝わる同意の仕方。断然、聴き手のほうが難しい。高度な技術が要る。

いずれにしても、ロールプレーはこれから傾聴活動を志望する人々で行われた。

実際は、精神障害を持つ人々に傾聴するのだという。だいたい高校・大学・仕事を数年やって後、発症する。

社会性を身につけるゾーンになって、にわかに適応できない、ということか。他者という重荷。

「病気の理解」というレジュメをもらった。統合失調症、感情障害、パーソナリティ障害。知らないことばかりが、かえって見開かれるばかりだ。

蒙を啓かれる思い。

会場の片隅に図書が並んでいた。「こころの元気plus」なる雑誌もあった。遅ればせながら、勉強するよ。

Piano, Pandeiro e passarinho (Hugo Fattoruso)