そうする事に決めた漱石
朝日新聞は、10月から漱石の「三四郎」の連載を始めた。
明治41年連載小説の再現。
これは、わかっているので切り抜かない。
9月までやっていた「こころ」は、律儀に110回分を切り抜いた。
台紙3冊分。執筆時の大正3年に浸りたいから、化学糊でなく古くさいやまと糊で貼っていた。台紙が波打つ。3冊まとまると、10センチの束になる。
2人の男と1人の女の三角関係。恋の勝利者は敗者を背負って結婚したが、生涯くびきを逃れることができなかった物語。
「いったん外国へ留学する以上は、多少の責任を自覚させられるには極っています」。
されど何をしていいか見当もつかなかった漱石。英文学を専攻して五里霧中になる。
立ち位置を「自己本位」の四文字に見つけ、「西洋人ぶらないでも好いという、動かすべからざる理由を立派に投げ出したら、さぞ愉快だろう」と小説を書き始める。
「それを生涯の事業にしようと考えた」が、愉快どころが懊悩は深まる。
これが、評論家が書く「近代人漱石」のことなのだろうか。個人が互いに交渉しながら、関係を作りあげる外国人=近代人。
対して、それまでの日本人は、あらかじめ存在する集団の秩序に組み込まれる人々だった、と。
それから100年。圧倒的数量で「外国」が日本にある。
そこでは、空気はわかるが読まない、というのが現代日本人に残された、かつかつの個性的処世術ということになるのか。
★目玉ブラボーズ 枡たかさん
♪寄り道DJがゆく Thompson Twins - Lay Your Hands On Me