赤坂裸族だった勝海舟
これ神奈川大学にあった弁財船。実物大の部分復元模型。いわゆる百石船というやつ。
全長は17mある。江戸時代は鎖国だから、大型船は作れなかった。
今、咸臨丸を調べたら49m弱あった。このサイズがないと外洋船とは呼べないのだろう。
「海舟座談」岩波文庫。
勝海舟は「氷川清話」が有名だ。「清話」の後日談が、この「座談」。政治生活50年の回顧録で、熱心な編集者が話を聞いてまとめたもの。
氷川は、現在赤坂6丁目にある町名。
廃校になった旧氷川小学校、現在は特別養護老人ホームのサン・サン赤坂の敷地に海舟邸があった。
間取り図がすごい。16部屋にバスルール2つ、中庭2つ、倉2つ。これらが畳と板の廊下でつながってる。
枢密顧問官の海舟は、もっぱら奥の3間で寝起きした。
そこに千客万来。
「座談」の時期は明治28年から32年。日清戦争の講和の年から没年まで。
江戸っ子海舟だから、インタビューに答えて語尾が「知ってらあね」「ありゃしまい」となる。
・着物を着て寝ることはできないよ。いつも裸さ。
あまりにかみさんがうるさいので単物(ひとえもの)を着るが、とても帯などできぬ。
このゾロッペイさは、僕と同じだ。帯をすると苦しくなる。
明治32年1月21日、77歳で逝去。前年12月18日に、高村光雲作の西郷隆盛銅像の除幕式が上野公園であった。
江戸開城の主役2人。最後まで因縁で結ばれていた。
★旅する目玉 吉田求さんの陶芸