「ミカド」後のストーリー

恵比寿から旧山手通りを、あてもなくさまよう小浪幸子さん。

代官山のカフェASOで1人ワインを飲み、前を通る人々を眺めてる。

それが2014年の9月。「帝王のいない家」幻冬社刊のあとがき。あとがきを読むのは好きだ。やれやれ一段落と声が聞こえて来る。

本は自伝である。これほど全編あとがき感がある本もめずらしい。

かつて、赤坂に「ミカド」というキャバレーがあった。東洋一と謳われた。

開店1965年当時は、東洋一という何とも地勢のはっきりしない形容でステータスを誇ることがよくあった。

世界には届かない歯ぎしりが聞こえてくる、三流感。とはいえ、キャバレー遊びとは縁なき高校生でも「ミカド」の威名はキャッチできた。

どん底から這い上がり、立志伝のキャバレー王となった小浪義明。

彼には2人の娘がいた。長女が小浪幸子さん。神戸灘の摩耶山麓にあった3000坪の豪邸で育った。

長女9歳の時、母が亡くなった。7歳の妹は意味がわからない。自分もよくわからないから、涙が出ない。

後ろ髪を引かれる思いでこの世を去る母親のつらさを、幼子は後になって聞く。

1985年、「ミカド」は閉店する。

前に「ミカド」をとりあげた本を読んだ。義明ルポルタージュだったが、閉店の手続きを長女が奮闘するあたりから、お嬢様のリアルが始まる。

社内では役員、経理部、総務部、芸能部、営業部が跋扈する。

外に向かって弁護士、会計士、建設会社、銀行の無碍に会う。山師、黒幕、事件屋、高利貸しの絶好のターゲット。

1990年に敷地に建てたビル「プラザミカド」はバブルピーク時で、後はテナント料が下がるだけ。130億円の借金がのしかかる。

清算して2003年にアメリカ移住。ニューヨークで日本料理店を開店するも2011年閉店。

そして11年ぶりに帰国した彼女の目に映ったもの。

「ミカド」のショーは夢のようだったろう。「ミカド後」も、蜃気楼だったのだ。

★旅する目玉 洞野志保さんの銅版画

♪旅する鼓膜 Macy Gray - When I See You