勘兵衛さん、あなたのおかげ
初詣より締詣。
へそ曲がりだから、新年を迎える年末の境内が好きだ。大晦日の夕方、浅草に10年ほど通ったくらい。
予兆の前の静けさ。
横浜新市民の初締詣に、お三の宮・日枝神社へ。友だちデザイナーの女史に瓜二つ(特に名を伏す)の狛犬と対面する。
案内板、あり。「吉田新田鎮守(日枝神社)境内」は、地域史跡でもある。
「そう、これこれ」。
横浜市民になじみの、大岡川と中村川。上流から、日枝神社で分岐して横浜港に注ぐ。
蒔田公園橋、葭谷橋、山王橋をぐるり一周したら、Y字水流にとても納得感があった。
野毛まちなかキャンパス「吉田新田の歴史」に出席した。
幕末に横浜が開港した理由は、3つある。
・港と、町場を建設するだけのフラットな後背地がある
・江戸/関西に通じる東海道にアクセスできる
・生活や商業を支える、地域的な経済圏がすでにある
3条件がそろった地が、横浜だった。
フラットな後背地は人造。当時の自然は日枝神社のある場所を西端にして、東に向かっての入り海。要するに、湾。
そこに登場した材木商・石材商の吉田勘兵衛さん。江戸城普請工事の次に、横浜を干拓して新田を思いつく。農民に貸して、莫大な投資を手堅く回収するプラン。永代、地主でいられる。
目の付けどころが、賢い。
北に大岡川、南に中村川。現在、両川にはさまれた用地は8割が吉田新田だったのじゃ。
日枝神社が鎮守様となるのは、田んぼにあまねく供給する水の取入口だったから。最重要ポイント。
★旅する目玉 村田善子さんのイラスト