「ようわからしません」
大阪の現在地図を見ている。
真反対に半周すればミナミ、と思ったら違った。
まず北区があって、東区・西区に南下し、隣接して南区となるんだ。
さらに南に天王寺区・浪速区が並ぶ。環状線を超えると、阿倍野区・西成区がある。この4区あたりをミナミと呼ぶのだと勘違いしてた。
「大和屋物語」岩波書店刊。
そして明治41年の南区地図も見る。
川でくっきり長方形に区切られた場所がある。東横堀川・西横堀川、北は長堀川・南に道頓堀川。島之内と呼ばれていた。
今、西横堀川は御堂筋に、長堀川は長堀通に埋め立てられている。道頓堀川に架かるのが日本橋、戎橋。川の向こうに法善寺。川のこっちは宗右衛門町。
宗右衛門町にあったのが、大茶屋の大和屋だった。2003年に店じまいした。
ガイドブックを片手に近辺の古本屋を回っていた頃は、まだあったのだ。買った本を東京に送るため、宅急便の旗が立つ店ばかり探していたから、場所を熟読することなし。
大和屋があった花街(かがい)の話。民俗学者・宮本常一から教えを受けた神崎宣武さんが、女将・坂口純久(きく)さんに聞き取った本。
・だが、答えにくい問い、答えたくない問いに対しては、「そうですか」とか、「ようわからしません」。
人をもてなす商売だから、話術にたけてる。しかし、媚や衒(てら)いがない。背筋を伸ばして正面を向く。
店を閉める際を振り返って、
・時代の流れというもんでっしゃろなあ。抗してみてもせんないことでしたわ
お座敷の作法は1970年代から風前の灯となっていく。ということは、それから30年間も純久さんは遺風を継いだことになる。
恬淡(てんたん)の構え、一朝にはできない。