信仰は仕事か感性か
今、川崎の少年事件でもちきりだ。
加害者も被害者も、親の話になる。家族のことが暴かれて、ひとごとじゃないよ。
不安という意味ではない。起きうる自己の不完全性をまざまざと見せつけられる思い。
川崎の前は、和歌山だった。
お母さんは民生委員というから、意識高めの人だろう。お父さんは高野山密教の権威。
親が完全な生き方と信じてる手から、何がこぼれると、子は引きこもりの殺人者になるのか。
あの事件直後、テレビで「別冊アサ秘ジャーナル」で高野山大学訪問記をやっていた。
水道橋博士と玉袋筋太朗がガイドする番組。
高野山僧侶が取材を受け、答える。父親とは知り合い、という人はたくさんいただろう。
遣唐使・空海・弘法大師を丸めて習ったのは中学生時代。それから、高野山・真言宗・金剛峯寺・東寺・密教に至るまで数珠つながりになるのに50年かかった。
古賀絵里子さんの高野山写真集「一山(いっさん)」赤々舎刊。
信仰の深い懐に入ってみたい、と思ったのだろうか。