硫黄島から来た戦闘機

3月になって、朝日新聞では神奈川県の軍事施設をシリーズでやっている。

沖縄の次に米軍施設が多いのが神奈川だった。

9日、テレビで「私の街も戦場だった」を見る。そうだ、70年前の9日深夜から10未明にかけて東京大空襲があったのだ。

その前後期に、全国139地域で爆撃を受けた日本。

成果を検証するためにパイロットはガンカメラで逐一撮影していた。ワシントンの国立公文書館にフィルムが保管されている。

それを入手して、地域を特定している日本人3人がいた。29歳2人と41歳1人の照合活動。

海岸線は、基本変わってないからわかりやすい。内陸部は、機銃掃射後に機首を上げた時に映っている山並みから判明した。

現在残っている建物も、手がかりになる。直線道路は、かつての飛行場。校庭は、食料増産の畑になっていた。

番組では、鉄道が機銃掃射を受ける再現ドラマをやっていた。

中央線高尾、湯(い)の花トンネル付近で客車は戦闘機P51ムスタングに襲撃される。五体が吹き飛び、生存者は山へ駆け込む。

茨城県日立で機銃掃射を受けた、と親から聞いたこと思い出す。

8月15日で終わったから、確かに米軍は本土には上陸しなかった。

計画では、1945年11月に南九州にオリンピック作戦。46年3月に相模湾にコロネット作戦と続いていたのだ。

産まれていなかったかもしれない自分は、産まれてからムスタングのプラモデルに夢中になっていた。