アレクセイ・ゲルマン 監督
3時間ばかり、「これでもか、これでもか」と擦り込まれるような映画を見た。
ロシアのゲルマン監督「神々のたそがれ」。
SF「猿の惑星」は、宇宙船の着陸先が猿が支配する地球だった。
「神々のたそがれ」では、800年進化が遅れた惑星の物語。歴史SFという言葉があるなら、ラブレーやボッシュやブリューゲルが活写した世の中を映画にした。
泥が主人公のようだ。水たまりに家畜に土足の男たち。狂信し、虐殺し、飽食する。
それを、どのように撮るか。
終始、人物に接近して撮る。つまり状況説明や休憩をしないということだ。
時にカメラに目を向ける。画面の前に、別の人物が横切る。つまり、史実を描くのでなく、愚行を観察しているのだ。
前に「フルスタリョフ、車を」を見た。同じカメラワーク。権力が人民を押しつぶすさまは、今回も同じように神を騙って統治する。
嗅ぐ、舐める、吐くという行為が、最後に残された所業として際立つ。
怪物的な暗黒を語らせて、ロシア以上に似合う国はないだろう。安穏日本では、真似できない。