海軍乙事件 吉村昭

太平洋戦争中に、海軍では甲事件と乙事件があった。

甲事件とは、連合艦隊司令長官山本五十六大将の戦死。

ラバウル基地からブーゲンビル島へ前線将兵をねぎらうために一式陸上攻撃機で飛びたった。参謀長と分乗した2機は、敵機の来襲を受けた。

事前に米軍に暗号が読まれていたのだ。

帝国海軍は「解読されてたかもしれない」と、その後架空の作戦を打電する。傍受していた米軍は、解読をカムフラージュするためにやりすごす。

それから1年。フィリピンで起きた乙事件。

「海軍乙事件」文春文庫刊。

甲事件も載っているが、表題となった乙事件は、さらに由々しき事件だ。

甲事件の後を引き継いだ連合艦隊司令長官と参謀長が、二式大型飛行艇2機に分乗し、洋上で遭難した。

司令長官は行方不明となり、参謀長は捕虜になる惨憺。

帝国軍人には、捕虜は最大の恥辱。合わせて、作戦書類が盗まれれば、影響甚大。

参謀長は、救出され日本に生還したが、不問にされる。彼がカバンに携帯していたフィリピンZ作戦の軍機書類は、「墜落とともに燃え尽きた」と主張する。

ばかりか戦後に「海軍の反省」などとノンキな本を出す。

実際は、機密書類は米軍の手に陥ちていた。Z作戦の全貌は把握された後、カバンに戻され海に流された。

吉村さんが雑誌に発表したのは、1973年。このころは、まだ証言者が存命だった。

軍人の息子・娘たちは、すでに還暦過ぎ。かえって若い人のほうが歴戦地を訪ねたりして熱心だ。