春に散る 沢木耕太郎

年度末の3月が終わる。

12〜1月から始まった年度のロングスパートが終わって、何はなくとも新規一転の4月スタートだ。

どうして、素直に1月1日をスタートにしないのだろう? 

アジアには旧正月がある。イスラム教にはラマダンがある。アメリカでは、9月が新年度。1月1日は、習俗や宗教といったアナログを無視した、デジタルなニューイヤー記号でしかない。

朝日新聞は、新しい連載小説が始まる。

沢木耕太郎さんの「春に散る」。

ノンフィクション「一瞬の夏」から35年。ボクサーだった男の小説という。元は、20年前に高倉健さんの映画用のシノプシスとしてあったもの。

4年前にブログを始め、理由を訊かれて「自分探し」「社会科見学」と答えてきた。だいたいクスッと笑う。

還暦過ぎのおじいさんが何言ってんだか、という印象。前提は、その年代にあったら落ち着かなきゃ、となっているからさ。

一向に、ならない。なるほうが、不自然。

人生の不安定が続行中だ。たとえば青春をさまよったり、社会に出会ったり、経験不足に落ち込んだり、依然としてキョロキョロしてる。

実のある人と会って、喪失はうずたかく積もる。このまま最後まで「見学者」なのか。

新聞では、夏目漱石「それから」が106年ぶりに再掲載もされる。

働かない遊民を、つまりフリーターを本人は律儀に書く。

見学を立ち止まって観察すれば、小説になる。観光客の場合は、お手軽で「あぁ、おもしろかった」。

僕の帰宅フレーズ。