カシタンカ チェーホフ

劇場ロビーには、近日開演のチラシがある。

商業演劇でも目にするが、独立系や市民演劇系になると目立つのがチェーホフもの。

「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「桜の園」「三人姉妹」。もう繰り返し繰り返し、そればっか。避けたい。

貧乏劇団が世の不平等を訴える、「若い根っこの会」っぽい教育的演劇。たぶんにソ連のイメージを引きずる。

「カシタンカ・ねむい」岩波文庫刊。

沼野充義さんが、チェーホフの短篇カシタンカを新訳したニュースがあった。

「この際、読んでみるか」と探した。無かったから、岩波の旧訳で読んでみた。

足の短い猟犬と番犬とのあいのこ、それが若い赤犬のカシタンカ。主人は、さしもの師。

アメリカのO・ヘンリーと同じように、短篇を量産した。都市の童話のようなところも似ている。

それに、チェーホフ日露戦争さなかに亡くなっていた。ソ連の片鱗もない。

岩波版には、付録で神西(じんざい)清の原稿があった。この人、チェーホフ翻訳で名高い人だった。

ここで、日本翻訳史。

まず、明治は学力不足の書生が内職でやる。隠語で「豪傑訳」。細かいことはテキトーに。

大正・昭和になると、原文に忠実であろうとする「弱虫訳」になる。日本語として未熟&奇怪。

ロシア文学業界では、とりわけこの傾向が強く、「ロシア語が透けて見えるのがいい」とされた。

そこに登場した、神西清訳。

・すらすら読めるから不可(いか)んと叱られ、ぎっくりしゃっくりしているから感心だと褒められた。

闘った翻訳者。沼野充義訳は約50年ぶりということだろうか。