歓喜する円空 梅原猛

年表というのがある。

疑いが無いから、その時その場所で起きたことだと思ってる。

例えていうなら、新聞のような記録媒体が昔からあって、事例が整然と並んでいるのが年表だと。

歴史の本を読んでいて、年表は書き換えられることが段々わかってきた。

円空も戦後になって研究されだした。リアルタイムで有名だったわけじゃない。

江戸時代初期、日本全国でおびただしい数の木仏を作った。

今、残ってる以上に作ったかもしれない。それが「円空作の貴重なもの」でなかった時代は、ぞんざいに扱ったであろうから。

歓喜する円空」新潮社刊。

僕が始めて円空仏を写真で見た時、鑿の跡の荒々しさが好きになった。イラストのヘタウマがもてはやされていた時代で、ヘタウマ仏だと思った。

何かに通じてる、そうだ棟方志功だとも思った。

念じていることに、手が追いつかない。

力感がある、スピードがある、飛び散る汗。迷わない、失敗しても止めない、今度こそと新しい挑戦をする。

共通することが、も一つあった。

大顔だ。体に比べて顔が大きい。幼児体型が、見る人の警戒感を解くのかもしれない。

梅原猛さんは、津々浦々の円空仏を訪ね歩いた。

仏だけでなく、彼が残した和歌と絵にも触れているところが学究だ。