マジメとフマジメの間 岡本喜八
校正者の「文字だっち」が、岡本みね子さんの記事をくれたので、夫の喜八本を探してみた。
「マジメとフマジメの間」ちくま文庫刊。
岡本喜八監督、亡くなって10年経つ。
「日本のいちばん長い日」はリメイクされたが、元祖は喜八映画だ。
8月15日正午の玉音放送前の、長い一日。学生時代に見た。ヒリヒリして、歴史の現場に立ち会った気分だった。
「独立愚連隊」「江分利満氏の優雅な生活」「大菩薩峠」「肉弾」「青葉繁れる」「吶喊」「ジャズ大名」など。高名な映画を撮っていた。
名画座やフィルムセンターで、ぜひ特集をやってもらいたい監督だ。
17歳で戦争が始まり、21歳で戦争が終わる。戦死・戦傷者がもっとも多いのが喜八世代なのではないか。
世の中の捉え方に背骨が生まれる。頑固に「すべては、喜劇だ」。
破れの喜八、汚れの喜八、振られの喜八、オケラの喜八、ホトケの喜八、トボケの喜八。性分を、それぞれつきあう人が名付けた。
鬼才と言われて、おもわず宣伝部に駆け込んで「やめてくれ〜」と叫ぶも、部員が言うには
・新人や大物は、新鋭とか巨匠で間に合うが、それ以外は、ま、困った挙げ句に取り敢えず、ま、そう呼ぶシキタリになっている。
みね子さんとの出会い、その1。
早稲田の映画研究会に乗り込んだら、小難しいことをまくしたてる女が一人。
その2。
ひと月たって、三越本店のおもちゃ売り場を歩いていたら、「あらっ」と背中に声がかかる。ヨーグルトをおごってもらう。
その3。
またひと月たって、スキーを担いで上野駅を歩いていたら、また「あらっ」と背中に声がかかる。冷凍みかんをくれた。
これはなにかのオボシメシ。横隔膜が躍動したかは定かでないが、カタカタと貧乏ゆすり程度には振動した。
職人気質の照れ屋。