光林寺 ヒュースケン
渋谷から新橋へ向かう都バス「都06」系統。
天現寺交差点にある停留所が「天現寺橋」。慶應義塾幼稚舎で知られている。
では、隣の停留所「光林寺」は? 北里病院で知ってはいたが、まさか寺にヒュースケンの墓があったとは。
ヒュースケンは、駐日アメリカ総領事のハリスの通訳兼秘書。
東京タワーのふもと、現在の飯倉公園。万延元年は赤羽接遇所だった。
赤羽橋にあった外国人用宿舎兼応接所を出たヒュースケンは、麻布十番にあるアメリカ公使館がおかれた善福寺に向かう。
途中、中の橋で攘夷派の薩摩藩士に襲撃され、翌日死去。28歳だった。
「ヒュースケン日本日記」岩波文庫刊。
当時の日本の銭湯は、混浴だった。ハリスは嫌ったが、ヒュースケンはたびたび混浴の様子を見に行ったという。
政治の駆け引き裏話だけでなく、こんな見聞記があるなら読んでみたい。彼も驚いたろうが、麻布住民も驚いたろう。
梅雨が空けたら、墓所内を巡ってヒュースケンを探そう。