メモ魔、読書家、嘆きの一茶

多作の俳人小林一茶

30代前半から亡くなる65歳まで、約35年間に詠んだ句が2万1200。日割り計算をすると、ほぼ2句の勘定。

1日さぼったら、4句つくらねばならない。

来る日も来る日も、捲まずたゆまず35年続けた。なにごとぞ。

商店街を1つ歩いて、写真集1冊をつくる写真家アラーキーのようなスピード。

小林一茶岩波新書刊。

茶の本は、山ほどある。一茶入門書としては、まず簡単に読める新書がいい。

著者の青木美智男さんが、歴史家というのもよかった。まず、どんな時代、どんな生涯を送ったかを知りたかったので。

一昨年、長野県の小布施に行った。栗と葛飾北斎の町。北斎鳳凰の天井絵を描いた岩松院。裏手に回ると池があり、石碑があった。

・痩蛙 まけるな一茶 是に有

解説板は生物学的だった。この池では発情期になるとカエルが集合する。喧嘩の原因は、メスの取り合い。

句だけの印象と、ちょっと違ってリアル。

とにかく、メモするがごとき筆は忙しい。岩松院の門前にも碑があった。

・栗拾ひ ねんねんころり 云ながら

おなじみの「一茶調」。世俗言葉で、滑稽味があり、慈愛がある。

これらは45歳の信州帰省後の句だろう。その間、結婚・再婚・再々婚。産まれてきた子は、次々夭折する。継母との遺産相続でもめる。

「俺のために、泣いてくれ」Hank Jones: Willow Weep For Meの句もたくさん残したが、あまり知られていない。

葛飾北斎鶴屋南北と同時代に生きたが、ついに時代の寵児にはなれなかった。

明治になって、やっと正岡子規が彼を「発見した」のだった。