書く理由があるか自問する

篠山紀信さんが撮った、三島由紀夫の「聖セバスチャンの殉教」。

手首を頭上に括られ、胴に2本の矢がささる構図。2人には、記念碑になった写真。見た人も忘れられない。

このモノクロ写真が、海外で翻訳された三島由紀夫本の装丁に使われていたとは。

マレーシアから来た作家タッシュ・オウさんの発言。「三島の本は大人への入り口でしたが、親は心配しました」。

3月6日も、国際文化会館にいた。

アジアの若手作家がそろった「いま、アジアで『文学する』こと」というシンポジウム。

進行役は、平野啓一郎さん。

文芸業界では、未だマイノリティのアジア。とはいえ、思春期に他者へのとまどいが文学の原点になるのは、世界共通だ。

DJ、映画監督、アートディレクターもやるタイ人のウティット・ヘーマムーンさん。「エンジニアの父親は厳格で、家出をくりかえしてました」。

写真は、韓国のキム・ヨンスさん。

天文学者が夢でした」。理系の彼は、大学で文学のむずかしさを理解しようと目覚める。「解決できないテーマがあるから、書くんです。でも、たいへんだぁ」。

サッカーの試合では、スタジアムが満員になる。「この人たち全員が、僕の本を読んでくれたらいいのに」と、切実なことを笑いで訴える。

今、書いてるのは「死んだ方がいい人が、最後まで生きている物語です」。

会場で、クオンという韓国専門の出版社を知る。「新しい韓国の文学」シリーズを出していた。

反日嫌韓に興味はない。若手の文学はおもしろそうだ。

米津玄師『ゴーゴー幽霊船』