深沢さんの謎が、ちょっと氷解した日
23日夜半からの雨は雪に変わり、24日早朝は雪の風景。
なぜか、朝から元気で、近所の床屋に足が向く。前にもブログで書いたカット1000円の床屋。
ウィンドーを覗くと1人でやっているので、日曜日は遠慮し、お客さんのいない時間帯をねらってね。
店名はcapanna。電話03−3707−3457。田園都市線・用賀駅の近く。宣伝をしない店ですが、僕は宣伝しちゃいます。
さっきから床屋と書いてますが、「カット専門店」ですから、女性も来店するそうです。ということは、美容院でもある。
ちょっと、ドキドキするなぁ。こういうの、初めてなんで。
話しかけられたら、どうしよう?
「一人で店を切り盛りするのは好きです」と、オーナーのオノウ兄さん。ベタベタしない性格なので助かる。
でも、日曜日はトイレに行く時間もないほど忙しいので、スタッフを募集中とのこと。
訊くと、カットの腕をもっていて、短時間とか週1〜2日だけ働くフリーランスって、いるんだそうです。
知らなかったなぁ。
今までの、同じカット1000円店とは違い、やることが丁寧で上手。これから、ひいきにしましょ。
さて、サッパリした頭で本の撮影場所を探す。
「深沢七郎外伝 淋しいって痛快なんだ」新海均著。
彼の生き方から、したたり落ちた言葉。これほどのサブタイトルはありません。
デビュー作は「楢山節考」。
底辺からの骨太な小説で、いわゆる書斎派・文壇を立ち直れないほど打ちのめし、たちまち、とりこにして、今村昌平さんは映画を作り、小沢昭一さんは朗読しました。
検索すると、プロフィールがあらまし出てます。
今回、読み応えがあったのは、よく知られた彼の作品の部分ではありません。
編集者であった著者が、ラブミー牧場や、今川焼き屋・団子屋へ、原稿の交渉に行く。そこで出会った2人の男、ヒグマとヤギ。
僕は、深沢さんは、1人でいたのかと思ってました、風流に。そうではなかったのです。
実に欲深く、奔放に、実直に生き、影に2人の存在があった。
「楢山節考」でデビューした時の彼の仕事は、今はなき日劇ミュージックホールでギターを弾いていたのです。
読み応えのもう一つは、彼が終世音楽を愛していて、彼を偲ぶコンサートが今も続いているということ。
「アルハンブラの思い出」のターレガの曲、作曲家・小栗孝之の曲、自作の「楢山節」が流れる。
2010年で7回目の宴では、このブログ12月26日に紹介した戌井昭人さんがゲストに出ていたのです。
劇作家で俳優の戌井兄さんは、作詞作曲演奏もやる人。
こういう人を、死後に走らせる深沢さん。
音楽と文学。両方やる人は、今では珍しくありません。
ですが、1956年のデビュー作に世間はとまどいました。
漂白に音楽があったことを理解できず、文学だけで咀嚼しようとしたからなんですね。
淋しいって痛快なんだ。ロックな人でした。